Generation change
(15年目・世代交代)
 森崎・三神・屋野の年齢が30を超えてきてそろそろ本格的に後継者を探さなくてはいけません。屋野に関しては星野が森崎に関しては萩原→御厨とつながるので大丈夫だと思いますが、三神の後継はなかなか見つかりません。去年名古屋の楢崎がラインナップに上がったのですが、それは高杉の怪我という洒落(*1)にならない状態だったので結果的に泣く泣くスルーです。なので今年の優先的な補強順位はGKです。そろそろ三神に衰えがきそうなのでその前にどうにかしたいという意図もあります。最悪の場合は失点覚悟で1年交代でGKを入れ替えるというのもありなんですが、そうじゃないと益々条件達成からは遠くなりそうです。

 世代交代のタイミングというのは自分はこう考えています。
 成長ピークの終了4年ぐらい前から考慮に入れ始め出てきた選手が16歳だったら獲得、2年前から先はその成長型の最高年齢だったら獲得。
 と言う感じです。タイミング的に言えば早いと思う人がいるかも知れませんが、乱数調整してリセットを繰り返してモデル選手の年齢がまちまちの上に、ご希望の選手が出てくるとは限りません。ので、ある程度は余裕を持って考える必要があると思います。この辺は衰えが比較的ゆっくりの3・04とは大きく違うところですが。(2002の場合はどちらかと言えば早めに落ちてくる)

 で、15年目現在のメンバーと年齢を書いておきます
 三神 尚紀 31
 モルセン 26
 岬 健二 
28
 森崎 敬 
32
 萩原 忠志 
21
 御厨 親典 18
 須並 哲 29
 
新谷 友樹 27
 屋野 功 
33
 星野 光 
24
 海堂 大 
28
 高杉 和也
 24
 山土巣 大鳥 19
 阿見 達哉 
27
 野毛 秀樹 
23
 ルンゲ K
 21
 少数精鋭をとっているわけではないので、もう少し拡大しても代表部だとは思いますが、なにせ人事運がこのリプレイ記全体にないものでその影響が大きく出ています。で、補強ポイントはさっきいったとおりですが、全体的に選手層が薄いのでGKを除く各ポジションに1人ずつ欲しいなあと考えています。ただセンターバックに関しては、森崎をもう一回獲得すればいいかなあと思っています。というのも富士さんにそろそろ定年の足音が近づいている状態で、再雇用も後1・2回というところになっています。なので出来ればその間2一回森崎には引退してもらって……と考えています。留学なしでチームの中心で在り続けたのですが、さすがに萩原が帰ってきた今はその役目は終わると思いますので。

 しかしメンバーの質は高いのですが、数は足りません。しかも留学から帰ってきて枠が埋まっている現状で、残りの枠は5。GK1人・ボランチ1人・サイドハーフ1人・ポストプレーヤー1人は欲しいのですが、乱数調整してもなかなか出てきてくれません。3月の段階で出てきた有力選手が水原 優一21歳とリッチョに移籍していた邑久村、さらに原田の3人でした。今回も無理かなあと思った4月。ちょいとしたミスと野毛の怪我から出すメンバーを変えてそのまま望む形になってしまいましたが、これがまさかストニコフ(*2) 17歳を引き当てる結果に。ストライカー適性(S)のほうが高いのですが、ポストマン適性もAありますし、何よりも3―4―3に強いのがいいとくれば獲得しない手はありません。難点といえばストライカー特化タイプなので、ヘディングが強くないことですが、将来のプレイスキッカーを手に入れたと考えれば差し引きはないと思います。幸いにも山土巣がいますので連係(*3)に関しても問題はないでしょう。ただし山土巣のいに穴があきそうですが……欲を言えばポフのほうが良かったのですが27歳所属じゃどうしようもありません。
 しかしその山土巣がとんでもないデビューを果たすことになる。野毛が京都戦で怪我をしてしまいその次の札幌戦で実質的なデビューを果たした山土巣がいきなりハットトリックの大暴れでデビュー。野毛が戻ってきたら野毛と交代だが、別な意味で頭を抱えるような問題が生まれてきてしまった。ストニコフを獲得してもまだ残りの3項目をクリアーしていない状態なので、じつはまだ綱渡り状態での進行ということになる。開幕戦圧勝(5−0・ルンゲ4得点)なのにリッチョにまたリードを許す展開になったが、市原線での6点圧勝で首位を取るとそのまま首位を快走。この2試合と後が山土巣衝撃デビューの札幌戦。その次の鹿島戦でも先制ゴールをあげる。ストニコフを加入させるための乱数調整でも2得点。さらに新潟線でも得点と野毛のいない間エースとしての活躍を立派に果たして交代。これはルンゲを年末に留学させたあとのFWに目途ができたという点で大きい。しかしそれ以上の衝撃を5月乱数変え場所の山形戦で発見。なんとリベイロ・リバルト・セガール(*4)とブラジルレジェンドクラスのFGPを補強している。前回対戦したときには見ていなかったものの、これだったらリッチョは粉砕できるだろうなあと思ってしまう。リッチョの邑久村も嫌な補強なんだけど、リッチョの場合は喜山を放出(5月場所で確認)している分だけプラマイ0。それでもファーストステージのリッチョ戦は引き分けで勝ち点45の優勝を逃すのはいつもどおり。優勝も最終節になってやっと決まった。

 インターナショナルカップの代表には高杉・海堂・岬。この3人か三神か野毛が選ばれるかと思ったけど、まさか料理ん選ばれると思わなかった。この連中だったら文句なしにアジア予選1位通過。で、後半戦。点をとっても、勝っても順位が上がらないかと思ったのだが8月の終わりに首位に立つ。いったんは2位に落ちるものの、その段階で先の広島戦で本来だったらやるべきではない9月分の乱数調整を敢行。で、出てきたのが

 プロシキ 22・ゴルゲーア 17(*5)・ベック 20(*6)・奥村 16(!!!)・倉本 28・南(柏) 32

 4バックだったら奥村は遠慮なく取りですが、左サイドはいっぱいの状況は変わりないので仕方なしにスルーです。国内だったらセンターバック、海外だったらボランチかサイドアタッカーを持って来いの世界になっていますが、ほんとうに欲しいのは三神に変わる最低でもGPクラスのゴールキーパー。10代で出てくることがないわけなんだけど、どうも出てこない。出てきても負け条件とか誰かが怪我をするというものだし。ただ奥村も引き分け前提だったので結果的にはスル―せざるおえなかったけど。

 セカンドステージは引き分け一試合で3位に転落するも、残りの試合は勝ち続けて勝利。リッチョ戦でなんともなく勝てたのが大きかったけど、どうもそのあたりになると得点力が鈍るのが最大の問題か。11月カップは世界クラブトーナメント強敵揃いの中、いきなりマンチェスターと激突。しかも国内・国外VIPが登場という洒落にならない展開。ここで何とか2−0で下すとサントス・ブエノスアイレスは圧勝。決勝戦のバレンシアでリセット乱発の大苦戦。とくに一回こっちでも名前があがってきたケンダル(*7)があと一歩のところで点を決めてしまい同点に追いつかれる→PK戦で負けるというパターンが多かったので、ひさしぶりの試合介入。1−0で何とか逃げ切って優勝を決めた。(しかし相手のGK、本当の意味での最後との砦になっていたなあ。三神の後継者としてほしい。ニューイヤーズカップは準決勝の広島戦で敗退。間中のサンフレッチェ生活最後のゴールであえなく散ってしまった。

 この年去年に比べると黒字額が半分になっているのだが、ストニコフの入団以上に出費が多かった年だった。遊園地出資に、まだそろっていない施設の建築(これでほとんど終わった)さらに誕生日イベントとメガネイベントで2度の出費とかなりの額の出費が出てしまった。とはいえそろそろ上昇気流に収入が伸びる頃なのでそろそろ本格的に人事の刷新とかを考えたいところ。去年は御厨、今年はストニコフが入ってきたけれど、まだまだGKの後継が見つからないし、ボランチそろそろ考えなくてはいけない状況になってきた。そういう意味では安定したチーム作りというのはまだまだ続く。

 15年目終了時点
 資金 287億4535万円 (前年比:28億5751憶円の黒字)
 GP 8人 (ストニコフ追加)
 FP 6人
 2月・11月カップ戦制覇回数 8回
 殿堂入り 4人 三神・岬萩原新谷
 個人ランキング最高位 萩原 DF2位

 (*1)実質控えがいない状態。唯一の控えの山土巣は年俸半減のための育成中。
 (*2)ストイチコフがモデル。94年ワールドカップ得点王で、柏に在籍したこともあるから覚えている人も多いはず。10歳の頃まではいろいろなスポーツをしていたのだが、スカウトをされサッカーの道に。18歳には国内の名門チームであるCSKAソフィアに移籍するが、乱闘騒ぎによる騒乱の責任を取らされる形で長期の出場停止を食らう。停止明けには主力としてチームの中心になり、さらにバルセロナ(ただし当時の政府の方針により1年移籍が伸びた)へ移籍。しかしトラブルメーカーの血は騒ぐようで、レアルマドリードとの試合では審判侮辱で出場停止処分を食らう。その処分明けにはバルセロナのリーグ制覇に貢献。パルサンジェルマンへの移籍を断りバルサに残留したストイチコフは続くチャンピョンズリーグ制覇にも貢献。このときの功績でパロムドームを取りそうになったのだがあと一歩で涙をのむことになる。さらにロマーリオが加入したチームは「ドリームチーム」と呼ばれるまでのチームに成長した。ワールドカップの得点王(パロムドームも)もとったのもこのとき。しかしその後は監督であるクライフと不仲が目立ち始め、一旦バルセロナを離れる。しかしロブソン監督になりバルサに戻ってカップウィナーズカップ制覇に貢献するも、ファンハールの就任によるチームでの居場所がなくなってしまう。チームを幾つか渡り歩き柏にやってくる。その後はアメリカに移籍をしてそのまま現役を終えた。
 (*3)山土巣……萩原。ルンゲK・ストニコフ……鬼茂。野毛……岩城。阿見……阿見。以上のことからルンゲKとストニコフをつなげる役目は阿見か山土巣。年令的な部分を考えると山土巣になりそう。
 (*4)ジュリオ・セザールがモデル。同姓同名の長友の元チームメイト(GK・2002には登場しない。04には出てくるが……)がいるものの、別人。190センチの高さを誇る長身のセンターバック。グアラニ時代に代表でレギュラーを獲得して一気に注目を浴びる。86年ワールドカップで活躍が認められヨーロッパへ。湯ベントス時代にはUEFAカップ。ドルトムント時代ではチャンピョンズリーグ制覇を経験している。各チームを渡り歩いて最後は母国のチームに戻って引退。
 (*5)ブレーベン・エルゲーア・ラムセンがモデル。デンマークを代表するFW。屈強な体を生かした突進と左足の強烈なシュートから「猛牛」の二つ名で呼ばれた。20のときにケルンに渡るが奥寺とのポジション争いに敗れてベルギーのチームに移籍。ここで大活躍を見せた後にイタリア。ヴェローナへ移籍。この時に大活躍をしてヴェローナのスクデット獲得に大きく貢献。引退後はコーチを経て解説者として活躍中。
 (*6)デイビット・ベッカムがモデル。イングランドの象徴と言うよりも、サッカー界の象徴といわれるほどの色男であると同時に激しい気性のせいでフランスワールドカップでは退場になってしまうほどの気性の激しい選手という印象が強かった。サッカーセンスはかなりのもので最初はトッテナムのサッカースクールにいたのだが、後にマンチェスターユナイデットのスクールに移る。ユース大会でも結果を残しトップチームへ。右サイドはーづのポジションのレギュラーになると、次第にマンチェスター・ユナイテッドの象徴としてその存在感を増していく。存在感が増していくのだが結婚・子供が生まれたことによりだんだんその状況がおかしくなってくる。とくに監督ファーガソンとの関係がだんだん壊れていき、2002―2003シーズンではファーガソンがベッカムに対して靴を蹴りあげてベッカムが負傷(この一件を含めて喧嘩別れをして選手を追い出す傾向が強いのでファーガソンを名将と呼ぶのには?がつくと思う)。その年のリーグを制するなどパフォーマンスは良かったものの、ちょうどレアルマドリードのラポルタの公約もありレアルマドリードへ移籍。
 レアルマドリード時代は色々とポジションを変えてプレーをしていた。最初はセンターハーフ。フィーゴと監督が問題を起こしてからは右サイドなどでプレー。カペッロがレアルの監督になって一度はレアルでの選手生活を終了かと思われたのだが、練習の一生懸命さからラウールなどがカペッロに直訴。レジェスの元にあったレギュラーの奪い返してリーガのタイトルを手にする。
 その後アメリカのLAギャラクシーに移籍。そこからワールドカップの代表を狙うが、代表に呼ばれることがなかったが中心選手として活躍。ミランへレンタル移籍(ベッカムの勘を鈍らせないための処置らしい)もあったが、タイトル獲得に貢献する。今はLAギャラクシーを退団。ヨーロッパのチームに戻るために交渉中。
 まだまだ引退はしていないが、サッカー選手としての活躍と同時にいろいろな場面で活躍をしている。とくにロンドンオリンピックでは親善大使として、また開会式では成果を渡すためのボートの操縦を担当し、会場をわかせた。(妻ヴィクトリアも閉会式でスパイスガールズとして復活をしている)
 (*7)マリオ・ケンペスがモデル。アルゼンチン代表のエースストライカーの系図にいる選手で運動量の多さを生かしてペナルティエリア外からのシュートも多用した。地元のクラブでキャリアをスタートし、ロザリオセントラルへ移籍。ここで驚異的な活躍を見せ、国内2大クラブを経ずにいきなりバレンシアへ移籍。得点王に輝き、さらにUEFAカップ、UEFAスーパーリーグ制覇に貢献。一度は国内に戻るものの、再びスペインへ。さらにオーストリアに移籍をして一度は引退。バレンシアのコーチをしていたのだが、チリの2部リーグの監督当時に現役復帰。さらにインドネシアのリーグでも活躍をして二度目の引退。クラブシーンで上げた得点は300。代表でも20ゴールを上げている。
 78年のワールドカップでは唯一のアルゼンチン国外のプレーをする選手として召喚される。一時リーグは無得点に終わるが2次リーグのポーランドとペルー戦では2得点ずつを上げる。そして決勝のオランダ戦でも2ゴールでアルゼンチンを優勝に導く。地震も得点王になり、さらに最優秀選手にも選ばれるが、ワールドカップ3大会に出て得点を上げたのはこの78年の地元のワールドカップだけ。他の似たイカ帯は結構な数の試合には出ているもの無得点に終わっている。

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